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こんにちは!

みぃです•*¨*•.¸¸♪

 

こちらのブログにお越しいただきまして

ありがとうございます╰(*´︶`*)╯

 

 

もともと接客業が好きで

パソコンの苦手だった私が

ネットビジネスに挑戦することになりました。

 

 

その理由は

「自分の夢を継続するため」です。

 

どんな夢を抱えていて

それを継続するために

なぜネットビジネスが必要なのか?

 

そこに至るまでの経緯や思いを

こちらに綴らせていただきます。

 

 

☆。☆。☆。☆。☆。☆。☆。☆。☆。☆。☆。☆。☆

 

人口わずか2千人、本土との交通機関は月に5回の船だけという

【超】へき地な島で

 

キッチンカーでのカフェを始めてしまいました。

 

 

・・・儲からないことはわかっていたんですよ・・・

 

じゃあ、

なんでそんなリスクを抱えてまで始めたのかっていうと

 

少女の頃の夢を叶えたかったからです。

 

 

いまやアラフィフを迎える私が少女の頃に

キッチンカーなんていうのは見たことなかったので(笑)

キッチンカーをやりたかったわけではありません。

 

 

少女みぃは

『ケーキ屋さん』になりたかったのです。

 

 

『ケーキ屋さん』への夢と挫折

10歳の頃に初めてホットケーキを作ったのが楽しすぎて

『アタシ、大きくなったらケーキ屋さんになる!』

って決めていました。

 

中学生になって

母からオーブンの使用許可をもらってからは

レパートリーも増えて

 

学校が休みの日には

クッキーやケーキを作っては

友達や親せきのおばチャンにプレゼントしていました。

 

 

高校生になる頃には料理全般に興味を持つようになり

定期的に学校へ提出する進路希望には

調理師専門学校とか栄養士専門学校と書いていました。

 

 

・・・でも・・・

 

 

最終の進路希望を提出する高校3年生の春に

学費のことで父親と大喧嘩になってしまい

 

『専門学校なんか行かせてくれなくていい!』

とタンカを切ったことで

少女の頃から抱えていた夢はお蔵入りに。

 

 

夢を絶たれた思春期みぃの心はくさり

どうでもいい会社に就職して

惰性の日々を送っていました。

 

与えられた仕事は一生懸命やるけれど

毎日時間に流されていくだけで

なんの達成感も得られない日々。

 

そして

心が荒れていくと同時に失敗を繰り返すようになり

 

さらに落ち込んで

自分がイヤになるという悪循環。。。

 

 

そんな時

アルバイトの高校生くんから

(と言っても2歳しか違わないw)

 

「みぃちゃんさー、

なんか趣味とかやって気を紛らわせた方がいいよ。」

って言われたんです。

 

 

・・・趣味かぁ・・・

 

 

実は

 

ちょっと気になっていたことがありました。

 

 

それは

 

職場の近くにある

「ジャズダンススタジオ」っていう看板。。。

 

 

 

ダンサーへのあこがれとエアロビクスインストラクターとしてのデビュー

実は私

中学生の頃から、

ダンスにも憧れていたんです(*・・*)

 

もっと前に戻れば

 

幼稚園に通っていた頃

「バレエ教室に行きたい」って親に言ったことがありました。

 

 

たしか「白鳥の湖」の公演の様子が

頻繁にテレビコマーシャルで流れている頃で

 

それを見るたびに

画面に釘付けとなっていたのです。

 

 

しかも

幼稚園のおともだちのひとりが

バレエ教室に通っているという噂でした。

 

 

まだ4歳か5歳の頃ですが

 

バレエ教室のお月謝はとても高い とか

私の家は裕福ではない っていうことは

なんとなくわかっていて

 

言いずらいけど

言わずにはいられなかったという記憶があります。

 

 

その時に父親から

「お前みたいなデブには、バレエなんか無理に決まってるんだよ」

って笑いながら言われたのです。。。

 

 

あの時のショックって

 

いま思えば

人生初の挫折感だったかも(・・)

 

 

 

思春期を迎える頃は

テレビの歌番組が人気を呼んでいたのですが

 

主役のアイドルよりも

バックダンサーとして踊っている女の子たちに魅かれていました。

 

 

 

2歳年下の高校生くんから

「何か趣味を持て」と言われて、

その頃の気持ちがフラッシュバック。

 

バレエは習わせてもらえなかったけど

いまなら自分のお金でダンスを習うことができる!

 

 

それからすぐに

スタジオを訪れました。

 

そのスタジオでは曜日や時間帯によって

大人のバレエ・子供のバレエ・ジャズダンス

と時間割が組まれていて

 

もちろん私はジャズダンスのクラスを申し込みました。

 

 

 

始めてみたら

もう楽しくて楽しくて

 

週に一度のレッスンが待ちきれないほどでした。

 

やがて

先生が別の場所で教えているクラスにも通うようになり

 

熱心に通ううちに

先生のアシスタントをさせてもらえるようにもなって

 

「私はダンスで生きていく!」と

会社を辞めました。

 

 

両親は怒り狂っていましたが

19歳の情熱は抑えられなかった・・・(笑)

 

高校時代にアルバイトをしていたファミレスに戻り

バイト生活を送りながらダンスに明け暮れる日々。

 

 

ダンサーになりたいのか

先生のアシスタントをしながら教える側になりたいのか

 

自分でもよくわからなかったけど、

ダンスを踊れる日々に充実感を感じていました。

 

 

そんなある日。

 

突然

「エアロビクス」という新しいダンスに出会います。

 

アップテンポの曲に合わせて

飛んだり跳ねたりしながら

気持ちよさそうに汗を流しているオネーサマ方を見た私は

 

これだ!

私はエアロビクスインストラクターにならなきゃいけない!

 

って

瞬時に思ってしまったのです(笑)

 

 

そして

「エアロビクスインストラクター養成コース」

を開催しているスタジオを探し出し

その場で申し込みました。

 

ファミレスでのアルバイトを続けながら

エアロビクスのレッスンに通い

約半年後にインストラクターとしてデビュー。

 

最初の頃は

担当させてもらえるクラスも少ないので、

ファミレスでのアルバイトは継続していました。

 

 

この頃に

レストランで2年働けば調理師の試験を受けることができる

ということを知り

 

バイトを続けながら参考書を買って勉強し

調理師試験を受けて

 

高校生の時にあきらめた

「調理師」の資格も手にすることができました。

 

将来、体力勝負の仕事ができなくなったときに

これを活かすことができるはず、と思いながら。。。

 

 

エアロビクスからダイビングの世界へ

私がエアロビクスインストラクターとしてデビューした頃、

日本にはちょっとした「スキューバダイビング・ブーム」が起こっていました。

 

エアロビクスレッスンを開催しているスポーツクラブには大抵

スイミングプールがあって

 

ダイビングライセンスの取得コースでは

「プール講習」が必須なので

 

「あなたもダイビングを始めませんか?」

的なポスターが

各店舗に貼られていました。

 

それを見て

なぜか魅かれるものがあり

 

「ダイビング、してみたいなー」って

思ったんですね。

 

 

でも

 

エアロビクスインストラクターとしてデビューしたばかりの私は

 

当時12~15万円していたダイビング講習を

受講できるようなお金もなかったし

 

自分が選んだ「エアロビクス」という仕事のなかで

自分自身を確立していかなければ、と思っていたので

 

「遊びは二の次」と、

我慢していました。

 

 

そして

エアロビクスインストラクターとしてデビューしてから5年ほど経ち

 

都内を中心に店舗展開しているフィットネスクラブの

メインクラスを担当させてもらえるようになった頃に

 

「そろそろ、遊んでもいいかな」

と思えるようになったのと

 

ダイビングライセンス取得コースの価格が下がり始めて

10万円を切ったこともあって

 

ついに申込みました。

 

 

講習を受けることはとても楽しく

プール講習を経て海洋実習を終え

ライセンスを取得する頃には

 

見事にハマっていました(笑)

 

ダイビング雑誌を毎日眺めて

「次はここに行ってみたい」

「次はこの生物に会ってみたい」と

 

仕事を増やしてお金を貯めては

ダイビング旅行に費やす日々。

 

 

そんなことを繰り返すうちに

世界最大のサカナ「ジンベイザメ」に興味を持ちます。

 

その頃

「ジンベイザメに会いに行こう!」

と日本にプロモーションをしかけていたのは

西オーストラリアのエクスマウスという小さな街だけでした。

 

日本から、西オーストラリアの玄関口であるパースに向けてのフライトは週に2回。

 

パースからエクスマウスまでの距離は約1300キロ。

長距離バスで13時間半かかります。

 

そんな

交通手段が限られている場所への旅行行程と

1週間ほどかかる旅行金額を計算しているうちに

 

「現地滞在が3日って、もったいないな」

と思うようになり

 

「ダイビングのプロ資格を持っていけば、

ジンベイザメシーズンの間、働かせてもらえるのでは?」

と考えるようになりました。

 

 

ワーキングホリデーのビザを取得できる年齢は超えていたので

 

観光ビザで入国し

現地のダイビングショップで

「無料で働くから宿を提供してほしい」と交渉すれば

 

ジンベイザメのシーズンである1ヶ月ほどを

エクスマウスで過ごせるのではないか

 

 

そう考えるようになったのです。

 

 

そのために「ダイブマスター」という

ダイビングの最初のプロ資格を取得するにあたって

選んだ場所が「小笠原」でした。

 

ダントツの理由は

野生イルカと一緒に泳ぐことのできる海だから。

 

ジンベイザメに会いに行くことを目的として考えている中で

その頃の私はイルカに夢中だったのです(笑)

 

ダイビングにハマりはじめた頃、

私の「行ってみたい海リスト」トップに挙げられていた小笠原の海。

 

小笠原は世界でも数少ない

「野生イルカと泳げる海」なのです。

 

読みふけっていたダイビング雑誌の情報によると

上級者向けのダイビングポイントが多いようで

 

”経験を積んでからでないと楽しめない”

そう思わせられる場所でした。

 

 

なので

 

ダイビングの経験本数が100本を迎える頃に

初めて小笠原を訪れ

 

同時に

 

生活することはできるのだろうか

という視察(!?)も兼ねての旅行となったのです。

 

 

そこで感じたのは

「来てしまえばなんとかなる」(笑)

 

 

不運なことに

10日間の滞在でイルカに出会えたのは

わずか1回でしたが

 

この海でダイビングの経験を積み

プロ資格を取得してエクスマウスに行こう!

と決めて

 

自分でも天職だと思っていた

エアロビクスインストラクターを辞めました。

 

 

東京での生活を引き上げて島へ来てみると

(・・・小笠原も東京都の一部ですが・・・)

 

ダイビング以外にも楽しいことがありすぎて

「ダイブマスター」の講習を受講するのが

おざなりになってしまいます(* _ _)

 

 

あっという間に2年が過ぎようとしている頃

 

「ヤバい!オーストラリアでジンベイザメに会うための

準備としてここに来たんだった!」

と思い出し

 

中途半端になっていた講習を終わらせ

「ダイブマスター」の資格を得て島を引き上げ

ジンベイザメシーズン直前のオーストラリアへと向かいました。

 

 

コネもなく

知り合いもいない

初めて訪れる南半球の大陸。

 

不安もありましたが

 

出発前に見た占いに

「いまのあなたは最強運!迷うことなくどんどん進め!」

と書いてあったことに背中を押されて

 

ひるむことなくガンガン進みました。

 

まずは

西オーストラリアの玄関口であるパースで

 

日本人をターゲットに

ダイビングショップと旅行代理店を行っている店に通い

 

ダイビングやジンベイザメツアーの会話から入って

スタッフと顔見知りになり

 

ダイビングのプロ資格を持っていること

給料はいらないからショップの手伝いをしたくてここまで来た

というようなことを少しずつ話していきました。

 

すると

なんと!

 

現地(エクスマウス)で

今シーズンの日本人スタッフを探していたとのこと!!

 

即決でした(笑)

 

そのショップからエクスマウスのダイビングショップへ

ジンベイザメツアーの日本人対応スタッフとして

送り込まれる形で現地入りを果たしたのです。

 

ジンベイザメのシーズンを迎えた現地では

連日「ジンベイ・ツアー」が行われていて

 

少ないながらも日本人観光客が訪れてくるので

 

日本人対応係として

ダイビングガイドとジンベイ・スイムに明け暮れる日々。

 

数年間抱えていた夢を実現して

Happyな日々を過ごしていました。

 

 

燃え尽き症候群と小笠原への帰島

オーストラリアでのジンベイ・シーズンも終盤を迎えて

 

次の生活目標が見えない私の気持ちは

迷路に入り込んでいました。

 

観光ビザで入国しているので

滞在期限は3ヶ月。

 

このままもう少しオーストラリアにいたいけど

滞在できるのはあとわずか。

 

日本に戻ってやりたいことも考え付かない。

どうしよう。。。

 

どうしよう。。。

 

これから、どうしよう。。。

 

 

実はその頃、現地に彼氏ができていました。

 

「ビザ延長すればいいんじゃない?」と言われ

 

一度パースに戻って大使館を訪れ

ビザ申請を行ったところ

 

あっさり承諾(´艸`*)

 

トンボ返りでエクスマウスに戻り

彼氏の住むシェアハウスに滞在しながら

 

ダイビングショップのお手伝いを続行する日々を過ごしていました。

 

4ヶ月後に再びビザが切れる頃には

一度出国してマレーシアへ行き

 

そこでビザを購入して

オーストラリアへ再入国することができました。

 

そして再びビザの期限終了間際に大使館へ出向くと

「これ以上の延長は認められない」と却下されて

仕方なく日本に帰国したのです。

 

 

その後

沖縄でダイビングの仕事をしたりもしましたが

 

エアロビクスの仕事に戻りたくなって

トレーニングを積み、

エアロビクスインストラクターとして復帰を果たします。

 

そして

以前働いていた、都内有数のスタジオへの復帰を目指しました。

 

イントラ仲間に紹介してもらった

小さなスタジオでのレッスンをいくつか受け持ちながら

 

古巣のスタジオで行われるオーディション合格を経ての

完全復帰を狙ったのです。

 

 

でも

 

 

一発合格できると思っていたオーディションで

 

落とされてしまいました。。。

 

 

一度東京を離れて

離島やオーストラリアのへき地で生活してきた私には

復帰した東京生活は精神的にキツく

 

前の職場が開催したオーディションに

落とされた精神的ショックも大きくて

「小笠原に帰りたい…」という気持ちが募るようになりました。

 

 

すると

偶然のご縁で

 

 

超住宅難の小笠原に

 

家を借りられることになったのです!!!

 

 

遅咲きのダイビングインストラクターデビュー

知り合いのツテで

格安で家を借りられることになって小笠原への帰島を果たすと

 

現地での知り合いに紹介されて

あっという間にバイトも決まりました。

 

それまで

エアロビクスやダイビングといった

アクティブな仕事をしてきた私にとって

 

「村役場の事務」という仕事は

1ミリも楽しさを感じることはありませんでしたが

 

精神的にとても疲れていたので

 

「ただそこにいるだけでいい」という

退屈極まりないアルバイトでも

時間を過ごすことができたのです。

 

 

 

・・・ですが・・・

 

 

島の自然に触れたことで元気を取り戻した私は

徐々に観光業のアルバイトもするようになり

 

ダイビングの世界へと戻りたくなって

「ダイブマスター」よりもひとつ上の

「インストラクター」の資格を取得します。

 

普通

ダイビングインストラクターという仕事を目指すのは

20代前半の輩ですよ(笑)

 

でも私にとって

「やりたいことを始めるのに実年齢は関係ない」

と思っていたことと

 

エアロビクスインストラクター時代に築き上げた

驚異的な体力(笑)があったので

 

インストラクターとなって

ダイビング業界に復帰しました。

 

あらためて働くダイビングショップでは

最年長の新人スタッフとなり

 

大変なことも多々ありましたが

 

大好きな小笠原の海で

ダイビングの仕事をすることによって

 

私は

海とダイビングがますます好きになっていきました。

 

 

でも

体力は永遠ではありません。

 

ダイビングという仕事は

お客さんの命を預かる仕事でもあるのです。

 

コンディションの悪い海でガイドをするときに

「ここで何かあったら

私はお客さんを引っ張ることができるのかな…」

 

そう感じることが多くなっていきました。

 

そして

 

新しく入ってきた若いスタッフと

性格が合わなかったこともあり

約7年間務めたショップを辞めることにしました。

 

 

料理の道へ

ダイビングの仕事を辞めると決めたものの

これから何をしたらいいのか
しばらく途方にくれていました。

 

 

そして
数週間経った頃に

 

そうだ!こういうときのために
調理師の資格を取ったんだ!

 

ということを思い出したのです。

 

 

さいわい
となりの島にキッチンスタッフの求人があったので

そちらに引っ越し
料理の仕事に就くことができました。

 

久しぶりの料理の仕事をしながら
仕込みや調理手順などいろいろ思い出し

 

1年後には

店を1件まかされました。

 

そこで1年間の経験を積み

自分の店を持つことを決意。

 

 

物価の高い島で店舗を持つことは難しいので

以前から頭の中に描いていた
「キッチンカー」を開業することにしたのです。

 

 

少女の頃の夢「ケーキ屋さん」を実現

10歳の頃に
初めてホットケーキを作ったことがきっかけで
「ケーキ屋さん」を夢みた少女みぃ。

 

その夢を叶えるときがやってきました。

ただ、人口の少ないこの島で
そうそう毎日ケーキが売れるとは思えません。

 

そこで
キッチンカーを「コーヒーショップ」とすることに。

 

コーヒーと合わせて
日持ちのする焼き菓子を販売し

 

バースデーキーキのPOPを張り出すことで
デコレーションケーキを受注します。

 

 

そのため
キッチンカーの営業許可のほかに

 

飲食店の厨房を間借りすることで
菓子製造業の営業許可も取得しました。

 

 

こうして
少女の頃に抱いていた夢を実現することができたのです。

 

 

夢の継続に向けて

コーヒーショップとしての平均客単価は500円。

 

物価の高いこの島において
家の家賃(1K)は78,000円。

 

キッチンカーを置かせてもらう場所代、
間借りしている厨房の使用料を計算すると

 

このキッチンカーだけで

生活が成り立つとは思えません。

 

 

開業したとはいえ
当時の目標は「1年間は続ける」

 

 

1年間はバイトしたりせずに
なんとかがんばろうと決めていました。

 

 

そして

毎日の営業を細々と続けながら
「副業」することを考えるようになったのです。

 

 

自分でイチから作り上げた店なので
どんどん愛着が増していきました。

 

 

1年で辞めるのではなく
この店を続けていきたい!!

 

そんな気持ちが大きくなっていたのです。

 

そして

副業を模索するなかで

 

ブログを書くことで収益を得ることができる
という情報にたどり着きました。

 

 

文章を書くっていう作業なら
カフェの暇な時間にできるんじゃない!?

 

そう思ったのです。

 

 

 

これまでも

ダイビングショップのブログを書いたり

 

オーストラリア在住時には
日本人向けフリーペーパーの執筆も経験しました。

 

 

文章書くの嫌いじゃないし
私には向いているはず!

 

そう思ってブログを始めました。

 

 

 

でも・・・

 

 

 

そんな簡単じゃなかった・・・

 

 

ブログに挫折し
せどりに挑戦して逆に借金をかかえ

 

ブログに再チャレンジ。

紆余曲折しまくり
精神的に壊れたりもしましたが

 

そんな私を引っぱりあげてくれた方のおかげで
いまの私があります。

 

 

不器用なので時間はかかっているけれど
あ・き・ら・め・な・い!

 

 

このブログでは
そんなみぃの挑戦の日々を綴っていきます。

 

 

最後まで読んでいただいて

ありがとうございます m(_ _)m

 

 

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プロフィール

こんにちは(*˙︶˙*)ノ”

みぃです。

ぶきっちょ・みぃのブログ実践記

少女の頃の夢『ケーキ屋さん』をキッチンカーで叶えました!
  
でも・・・

ここは離島。
  
住んでいる人が少ない・・・
観光客も少ない・・・

売上も少ない・・・
生活資金が・・・
  
足りない!(><)
  
というわけで、
かわいいキッチンカーを守るため、場所を選ばないネットビジネスに挑戦中。
  
パソコン苦手なみぃが、次の夢をつかむまでの実践記を綴っています。
  
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